397日目 | |||
宿泊地 : | HOSTAL EL TAXO⑭(キト/ エクアドル) | ||
移動 : | なし | ||
スペイン語 : | 11日目 |
【ノルテ(新市街)とセントロ(旧市街)の中間辺りにあるネオゴシック調のカテドラル】
前日に続き、旅先で聞いた好きな言葉について。
ボリビアのコパカバーナで会ったタケさんが書いてくれた言葉。
「やりたくないことはやらない」
これは簡単そうでかなり難しい。でもこれがうまくできると、自分らしく生きやすくなるような気がする。基本的に別れるまで書いてもらった内容は見ないことにしているために、直接タケさんにその言葉について話を聞くことができたわけではない。けれど、少し話したときに窺えた彼の価値観から推察するに、この言葉はこのようなメッセージを発しているのではないかと考えた。
まず最初に断っておきたいのは、人として最低限の責任を果たすこと、それは言うまでもなく絶対であり当然これが考慮されているということ。人として社会に存在している以上、家族、所属組織(国も含む)、自然、このあたりへの責任を放棄してはならないと思う。ボーダーをどこに引くかは人によって違うので、それは各自で決めてもらえばいいと思う。とにかく、こうした頭があることを覚えておいてもらえたら嬉しい。要は、「やるべきことをやらない」わけではないということ。この後は都度ことわるようなことはしないけれど、この言葉の持つ無責任な響きは、少し遠くに置いておいてもらいたい。
で、「やりたくないことはやらない」なのだけど、これは今の日本人にとって、とても大切な言葉であるように感じる。閉塞感の漂ういまの日本の社会では、多くの人が鬱勃した気持ちを抱いて生活している。ストレスとは、欲している理想と現実の間のギャップから生じるものだと考えているが、これを解消するには理想を下げるか現実を底上げしていくかどちらかが必要なのだと思う。人は誰しも向上心を持っているし、特に日本人は強い帰属意識や責任感を持っているために、たいていこうしたときは自分の非を考え、自らの成長を促そうとする。素晴らしいことだと思う。
けれども、今の社会では、このプロセスが成功につながらないような気がしてならない。
というのも、人、物、こと、そういった個人を縛る要因があまりにも多すぎるように感じるから。これだといくら頑張って問題を取り除こうとしてもなかなか前がひらけない。それに環境の変化するスピードもおそろしく早いために、いったん落ち着けたとしてもまたすぐに次の流れに巻き込まれてしまう。
というわけで、個人的にはもう一つの方法のほうが有効なのではないかと思う。
それが「やりたくないことはやらない」こと。
翌日の日記に続く
ランキングに参加中! | なにー?単語や文法が間違いだらけだと!!困ったやつだ、これ(ボタン)を使って打擲を加えてやれ!!ということでクリックをお願いします!!! |
|
-----------------------------------------------------------------------------------------------------
バナー(小)↓
-----------------------------------------------------------------------------------------------------