86日目
宿泊地 :クラクフ / ポーランド
移動 :ヴィリニュス → クラクフ(14h),クラクフ ⇔ オシフィエンチム(1.4h,2h)
【前日17:00~6:00(バス)※時差-1h,9:20~10:40(バス),15:20~17:20(バス)】
リトアニアのヴィリニュスから夜行バスで早朝にクラクフへ到着。このまま荷物を預けアウシュビッツへ向かうことも考えたのですが、車中でほとんど眠れなかったため、心が折れ宿へ向かいました。目的の宿へは無事に着いたのですが、なにやらチェックインは午後の4時以降ではないとだめだとの厳しい言葉が!がら空きなんだしいいじゃん・・・と思いつつも、荷物を置いてまたバスターミナルへととんぼ返り。オシフィエンチム行きのバスに乗り、アウシュビッツ強制収容所に向かいました。
今日は日曜日でさらに前日が万聖節(キリスト教で聖人を祝う祝祭日)だったためか、各地の教会と同様人が多く、またイスラエル人の学生と思われる団体も多く来ていました。イスラエルの学生は、皆イスラエルの国旗をあしらった同じパーカーを着ており、中には国旗をマントのように身にまとっている学生もいました。彼らはこの地で祈りを捧げたり歌を歌ったりと、過去の犠牲者に追悼の意を表していました。たしかに悲惨で悲劇的な歴史なのですが、このような過去を持っている国の人々が今パレスチナで起きている紛争を、一体どのような論理で肯定するのかが気になりました。
祈っている人々の後姿をながめならが、こういった争いはこの先もさなくならないんだろうなと思いました。
アウシュビッツ収容所の近くには、第2アウシュビッツ収容所(ビルケナウ)とも呼ばれるより広大な収容所跡地があります。ここには各地からこの収容所の死の門へと向かう線路が延びており、この敷地内に線路の終点があります。死の門とこの線路を前にすると、当時の光景を想像してしまいます。ちなみにこの光景を見ていて、日本の一般的な人間の人生を思い浮かべてしまいましたが、それは悲観的過ぎるのでしょうか。降りることにも乗り続けることにも希望が持てないけれど、確実に終点には向かっている状況がなんとも・・。
この収容所で命を落とした人は150万人とも言われています。博物館になっているほうの収容所には、当時の拷問室や収容された人々の持ち物(バッグや食器、靴などは大きな部屋がいっぱいになるほどの量が積まれています。メガネや櫛も山のようにありました。)や、女性の頭から刈った髪や、その髪を使って織られた布なども展示されています。髪はこうしたものの材料として売られていたらしいです。
これらの収容所はかなり広く、展示物も多いので、可能であれば二日くらいとってまわってみるのが良いと思います。
【ビルケナウの鉄条網】
【死の門へと吸い込まれていく線路】
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