193日目
宿泊地 :機内とアディスアベバの空港
移動 : サナア → アディスアベバ(2.3h)
【深夜26:30~翌日4:45(飛行機)】
世界一周は、人生で叶えたいと思っている夢の1つでした。
バイトで貯められるくらいのお金で普通の人でも世界一周ができてしまう。学生時代に旅先でそのことを知ったときからずっと、世界一周は私の夢でした。
今こうしてそれを実現できているのですが、書いてそのまま、まさに夢の中にいる気分です。
出発して200日近くになる今日に至っても、いまだ毎日これほど幸せなことがあるのかと思うほどの幸せを感じながら過ごすことができています。
おそらくこれまでの人生で最も幸せを感じることができているのが今だろうと思います。それと同時に、これがこの先を含めた私の人生全体でのピークになるんじゃないかという気もしています。20代半ばでピークってちょっと早すぎるんじゃないの、という気もしないことはないのですが、仮にそうなったとしても納得がいくし、そういう瞬間を一点でもつくれたことは喜ばしいことのようにも思います。
実際は全てのものを同一線上に並べ評価するなんてことはできないので、どこかピークでどこかどん底だなんて一概に言えるものでもないとは思います。しかし、そうした理屈抜きに感覚としてここが絶頂だといえる、そうしたダントツの頂点が人生のどこかに存在したら、それだけで私は自分の人生を肯定できます。
日本人の平均寿命はおよそ75歳。長いと思います。
その全ての道のりを一つとして捉え、平均値を高く、あまり波風を立てずに、穏やかに過ごしていく。これもとても幸せなことだと思います。ですが、人生いつ終わるかわからないのが問題です。日々の全ての瞬間を人の幸せな営み(もちろんつらいことも含め)と見ることができれば違いますが、そこまで哲学と精神を熟成させて人生を達観するには相当の時間を要します。
なかなか難しいことです。
高校を卒業した18歳の春、初めて本気で自分の人生について考えたとき、私は今後もそこまで全てを受け入れ全てを悦ぶことはできないタイプの人間だろうという結論に達しました。だから道全てを愛するのではなく、その中でできるだけ高い山をたくさんのぼってみようと考えるようになりました。
道がいつ途切れても登ってきた山の記録は残るし、もし一つも登ることができていなかったとしても、足元かもしくは視界には山はあります。その意識さえあればいい。
いつ途切れたとしても、よく生きたと自信を持って言えるような生き方をしたいと思っています。
あといくつ登れるか分かりませんし、もう登れないかもしれません。けれど、自分の居場所を確認するためにも、常にどこかに山は見ていたいです。
だから世界一周が終わっても、きっとやることがいっぱいです。
よく思うことなのですが、もし人がみなそれぞれの寿命を生まれたときから正確に把握していたら生き方が変わる気がするのですがどうでしょうか。死のランダム性が、可能性以上に妙な余裕や安心感を人生に与えているような気がします。
仮に自分の人生を40歳ピッタリと設定してみたら、今やることが変わってくる気がしませんか。それを50,60,70,80とのばしていったらどうですかね。やってみると思いのほか考え方が変わっておもしろいです。
【イエメンには笑顔が素敵な人が多かったです。】
【サナアにきてよかった。】
【平和な空気が流れている町です。久しぶりに頭もリラックスできました。】
【どこの国でも子供たちはサッカーしてるね】
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