パラグアイのブログ記事

2009年6月30日のブログです

326日目
 
宿泊 : Hotel Park Iguazu①(アルゼンチン)
移動 : 12:30  イグアス移住地
       ↓ バス(40min)
  13:10着,13:30発  シウダーデルエステ(パラグアイ)
       ↓ バス(1h 30min)
  16:00 プエルトイグアス(アルゼンチン)※時差-1h



 

世界一周パラグアイ16 
【今日も空がきれい】

  

Aさんというのは私の持っている「外こもり」の人のイメージ。長期でバックパッカーをしたことがある人ならば旅先で見た似たような人を1人や2人思い浮かべることができるのではないかと思う。
 

日本ではこのような「バックパッカー=外こもり」といった偏見を持っている人も少なくないように感じる。しかし実際こうした人たちはかなり少数で、今は明るく前向きに観光を楽しみながら海外を旅行をしている人が多い。一昔前のバックパッカーからしたら、かなりライトに映るのではないかとも思う。

 

学生時代からバックパッカーをしていた私は、海外を歩いた経験もない人が上から目線でこの外こもり問題を語ることがとても不快に感じられたものであった。しかしながら少数ではあるものの実際にこうした例はいくつも目にしてきていたため、同意できる部分は確かにあった。その語り手が同じバックパッカー経験者であったのであれば、同じ論調で大いに盛り上げれたのではないかという気さえする。

 

この「外こもり問題」であるが、彼ら彼女らを日本社会へ戻そうという団体もあるようで、アジアの安宿街には「日本で働こう」などと日本語で書かれたポスターを目にしたこともあった。はみ出し者を悪とするいかにも日本的な発想で、甚だ迷惑な活動だと感じる意識的な沈没者もいるのではと想像する。それでもそうした願望を持っている人間にとってはありがたい助け舟に成り得るので、総合してみるのであれば、私もこの種の活動には賛成である。目が覚めるきっかけになったり、実際に制度を利用して救われる人間もいるのだろうと思う。

 

しかし、「日本に戻りたい」と心から願っている人間ばかりではないということは忘れてはいけない。

 

 

世界一周パラグアイ17 
【自転車を借りてサイクリング】
 
 

外こもり状態にある人たちは決して変わった人間たちではない。私が見てきた人のことを思うと、そうした人たちは人一倍社会に人に対する感性が鋭く、その感覚から論理的に物事の本質に迫れる思考力をも持ち合わせているケースが多かったように思う。それゆえ深みにはまる。こうした人たちはある程度意識的に日本社会を嫌悪し敬遠している。チャンスさえあれば帰りたい、ではなく、チャンスさえあれば帰りたくない、と考えているのではないだろうか。

それならば現状維持で良いね、放っておいたほうが良いね、と言われてしまいそうだが、それは冷たい。なぜならAさんのように資金には限度があるため、近い将来必ず日本へと帰らなければならないため、外こもり期間が長くなればなるほど、帰国後の違和と衝撃が強大なものになってしまうからだ。これは苦しい。帰国せずとも、海外を放浪しながら野垂れ死にしてしまう人がいても何らおかしくない。

 

そこで思ったわけだった。日本に帰国しなくても良いという選択肢があれば良いのに。帰国しなくとも自立して生活していける環境がどこかにあったら良いのに。南米の日本人移住区を見たときに、ハッとした。移住すれば良いじゃないかと。まだ若い移住区であれば日本的な文化も残っている。日本との差異があるために、良い意味で偏見の目がなくなる可能性もある。幸いまだ移住を許可している国もあるようだ。世界的に見れば、移住はそんなに珍しいものではない。まだ経済他国の面目を保っている日本からということであれば、経済的な障壁もそれほど高くはない。

 

どうだろう。

決して移住が簡単なものだと考えているわけではない。しかし、死ぬほど日本が嫌なのであれば、頑張れる可能性がないことはないと思うのだ。日本で海外移住というと一部のエリートを連想しがちであるが、このような利用法もあっても良いような気がする。

 

 

例えばここイグアス移住地であれば、平均的な日系人の月給が20,000円、生活費はおそらく15,000円もあれば十分だろう。生活費は1年で180,000円。一軒家も120万円で建ってしまうそうだ。言葉の問題もあり現地で仕事を見つけるのは困難だとは思うが、それを見越して数年分の生活費を用意していけば良い。預金金利も5%と高い。実家で生活できるのであれば、非正規雇用であっても20-30年分の生活費(400-500万)を貯めることは難しくはない。(※インフレによる物価上昇には注意)

 

 

先進国と比べると政情も不安定で様々なリスクもあるが、決して大博打とは言えない程度の計算は成り立つ。

 

どうだろう。

本当に日本が嫌なのであれば、こんなふうに外に目を向けて考えてみたら、意外なほど目の前が明るく開けることもあるんじゃないかなと思ったのであった。

 

せっかく外にいるのだから、こもっていてはもったいない。

 

世界一周パラグアイ18 
【胸がすくね】

 


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2009年6月29日のブログです

325日目
 
宿泊 : ペンション園田④(パラグアイ)
移動 :  なし
   

 

 

■日系人月給(パラグアイ人よりも高め)
20,000円

■パラグアイ人アルバイト
60円/時間

■自治体への納金
8,000円/年

■一軒家の建築費用
1,200,000円

■預金金利 
5%

注※パラグアイはインフレ率が高い
参考:世界経済のネタ帳 

 

 

世界一周パラグアイ13
【あんぱんが売られていた。懐かしい味だった・・・。】

 

 

イグアス移住地に住むにはいくら必要なのか。気になったので現地の方にパラグアイの物価についていくつか聞いてみた。上の数字を見てみてどうだろう。何か可能性を感じないだろうか・・。

これまでの旅先で見てきた事を思い出しながら、少し妄想してみた。

 

 

 

ほわんほわんほわん・・・・・




大学卒業後、日本社会に嫌気がさしAさんは海外へ飛び出した。希望ではなく強烈な失望が衝動となった夢のない旅立ちであった。資金は卒業後3年間フリーター生活で貯めた200万円。先進国ならば1,2年で底をつく額である。しかし、物価の安い途上国での沈没を繰り返すスタイルをとることで、Aさんは5年という長期間を海外で過ごすことに成功した。


「俺なんかまだピラミッドも見てねえよ」が口癖のAさんは、いつの日かまわりから「ヌシ(主)」と呼ばれるようになっていた。ビザは観光ビザしかおりなかったが、期限がせまるごとに隣国へいったん出国することで、滞在期限をリセットすることができた。Aさんはこの一連の行動を「輪廻転生」と名づけ、その都度、決して自身でも満足していなかった生活を変えようと気持ちを奮い立たせるのだったが、生まれ変わることはならなかった。もう戻らないと言い残し全ての荷物を持ち宿を出たこともあったが、1週間もするとやはり同じ地へ戻ってきてしまうのであった。そのたびAさんは強烈な羞恥をもって自己嫌悪に陥るのだが、「何が輪廻だ。自分はインドも好きではなかったし仏教の教えにも馴染めない。」と、局地的な解釈をすることでアイデンティティの崩壊を食い止めた。自分がここにいるのもイスラムの空気が性にあっているからだろう、保身からそう考えるようにもなっていた。イスラムの慣習に従うという名目で、堂々と髭剃りをさぼることができたのも大きかった。長く伸ばしたヒゲと髪はAさんのトレードマークとなった。


Aさんはこの海外生活でも満足のいく目標を見つけることはできなかった。いつまでもこんな生活をおくっていて良いものかと罪悪感や嫌悪感に苛まれることは少なくなかったが、最後まで行動には至らなかった。「さすがAさん!めっちゃ詳しいですね!」長くいれば否が応にも入ってくる現地情報を与えるだけで、新たに宿に来た旅行者たちは大喜びしてAさんのもとに集まってきた。日本社会では感じられなかった自分が必要とされる感覚を、ここでは毎日のように味わうことができた。Aさんを沈没させた最も大きな錘はここにあったと思われる。

結局はAさんは資金が尽きることで半強制的に日本へ帰国することとなった。


自らの計画を上回る長期の海外生活を実現したAさんであったが、無一文で帰国したとき、Aさんの年齢は30歳に達していた。年齢相応の社会経験のないAさんにとって、日本の風はとても冷たく感じられた。このとき感じた社会への違和感は、大学卒業後に感じたそれの比ではなかった。Aさんはひとまず田舎の実家で暮らすことになったが、姉夫婦が共に暮らす二世帯住宅の居心地は最悪だった。海外ではヌシであったAさんも、ここでは招かざる客であった。



・・・・・ほわんほわんほわん

 

 

 

《ちょっと続く》

 

 

世界一周パラグアイ14 
【懐かしい品々が並んでいる】



 

世界一周パラグアイ15 
【なんと納豆まで!!!】

  

 

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2009年6月28日のブログです

324日目
 
宿泊 : ペンション園田③(パラグアイ)
移動 :  なし
   

 

 

 

イグアス日本人移住区。日本からの移住者とその子孫たちがここで暮らしている。彼ら彼女らは日本で言うところの日系人にあたる。

 

 

南米にはこうした日系人の住む集落が点在している。すでに日系3世が世代の中心となりつつあるブラジルと比べるとこのイグアス移住地への移民の歴史は若干浅く、人々はこの地で生まれた若者も含め皆流暢に日本語を話す。町には役場、病院、日本語学校、生協などがあり、赤いテラロッサの地面さえ見なければときに日本の田舎にいるような錯覚にとらわれそうにもなる。

 

宿のテレビではNHKの日本語のニュースが流れ、生協では納豆や饅頭なども売られている。食堂ではラーメンなど日本食を食べることができる。長旅の道中にある旅行者はこれにいたく感動する。あたたかな住民の人柄もあってか、ここは南米の旅行する日本人バックパッカーの間では有名な滞在地になっている。


それがここ、イグアス市の日本人移住区。

 

 

世界一周パラグアイ9
【おおお!日本食だ!!どれにしようか迷う】

 

 

世界一周パラグアイ10
【こんなにラーメンがおいしく感じたのは初めてかもしれない】

 

 

初めてここに日本人がやってきたとき、この一帯はジャングルだったらしい。自分たちの手で森を切り開き(その分を、という理由だけではないだろうが現在は植林活動も行っている)、つくった土地に新たな町をつくったらしい。長く暑い夏があるイグアスで、ときには猛獣と闘いながら開拓を続けたという。なんと人口の湖まであるから驚きだ。なんでも作ってしまう。

 

 

世界一周パラグアイ11
【日本語の標語】

 

移民が始まった当初のこんな話を聞き、彼らのたくましさを感じた。なぜそんなに頑張れたのだろうか。どこからそんな力が出たのだろうか。資質やそれまでに培った精神力、そういうものももちろんあると思うが、もっとも大きな要因は環境ではないかと考えた。

 

決して、たまたま時代や環境がそうだったから人がすごいのではない、などということを言いたいのではない。

 

具体的な行動をともなう強さやたくましさは、きっと結果に過ぎないのだろうと思う。私が感じた彼ら彼女らの最も強かったところ、最もたくましかったところは、(一概に前向きとは限らないが)移民を決断したところにあったような気がしている。環境が人を育てると言うが、ある程度の年になれば環境は自分で選ぶようになる(その後また選択権を失い始めるが)。つまりは決断が人を育てているのではないか、なんてことを思った。

 

今では穏やかそうに見えるイグアスの人々も、想像を絶する過酷な状況を乗り越えいまの生活を手に入れたのだろうと思う。別にそんなものは求めてはいなかったであろうが、結果として人は強さも手に入れた。

 

 

世界一周パラグアイ12
【鳥居】

 

 

結局何が言いたいかというと、どこに行っても人はそれなりに頑張れるんだろうな、ということ。行くといっても中途半端な立ち寄り方ではなく、不可逆的な前進をした後にたどり着くような「行き方」ではあるのだけど。

これまでもこうしてきたけど、逞しい人々を見て、改めてこうした思いが強くなった。

 

 

「やりたいことはやっちゃっていいかな。」

 

 

人生、そう簡単には詰んでしまわないのだから、人に迷惑をかけなければ何だってやっちゃっていいじゃない。行き着く2つの場所にも興味がある。

 

 

それは、くぐり抜けた先にある景色と、自分という人間。

 

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2009年6月27日のブログです

323日目
 
宿泊 : ペンション園田②(パラグアイ)
移動 :  イグアス移住地
     ⇔ バス往復 (片道 1-2h)
   シウダーデルエステ

 


ペンション園田で一緒だった4人の旅行者とシウダーデルエステ、イタイプーダムの見学に行った。




世界一周パラグアイ6
【シウダーデルエステ 家電の免税店が入ったビルはとても賑わっている】




後日、中米滞在中に知ったのだが、このとき一緒だった旅行者の一人が、日本帰国後に亡くなってしまった。心の優しい純粋な人だった。この日、一緒に街を歩いたことや、宿ですきやきを作りビールを飲みながら言葉を交わした思い出があまりに近く鮮明に残っているため、今も今後も実感が湧きそうにない。

手元の連絡先交換ノートには、彼の書いてくれた連絡先やメッセージが残っている。このアドレスの向こうとはもう繋がることがないのかと思うとなんとも寂しく感じる。


旅行中は日本で普通に生活しているときとは比べものにならないほど出会いと別れの機会があり、その際に連絡先を交換することが多い。短い時間のやりとりの中でも強いシンパシーや興味を抱き、また会おうと約束を交わしがてらのやりとりになることもあれば、まだよくわからないという不確かさが好奇心をそそり、可能性を残すという意味合いでアドレスなどを記すこともある。私個人に関して言えば、圧倒的に後者が多いように思う。
記帳を求める機会の多さ、自己表現の拙さ、そういったところも関係していると思うが、とにかく結果的にはこうなっている。「今」よりも「未来」に主眼を置いたやりとりが多いのだと思う。






世界一周パラグアイ7
【ビルで火災が発生したようだった。すごい煙。】



既に少し触れたが、この後者のようなやりとりにおいて重視されるのは可能性である。いつか開くかもしれない花の種を蒔いているようなものだと思う。最近よく思うのだが、人は可能性さえあれば意外と気楽に生きていけるものなのかもしれない。多く人が追っているもの、頼っているものは、実際的なものではなく、曖昧な可能性なのだと思う。私もまた、多くの可能性にすがって生きている。



今回、その種の一つが、まだ何も注がないうちに消えてしまった。咲いたか咲かなかったかわからないうちに、それが失くなってしまった。


可能性は、二人の関係に限った話ではない。その存在に関わる多くの可能性がここで潰えてしまった。感情的な言葉の範疇を出ないが、ただ残念だという思いがひたすら頭の中をまわっていた。曖昧なものだったためにその分自由に大きく広がったその可能性が、一転して大きな虚無感に変わっていくのを感じた。



世界一周パラグアイ8
【イタイプーダム 今は放水の時期ではないらしい。残念。】
 

 


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2009年6月26日のブログです

322日目
 
宿泊 : ペンション園田①(パラグアイ)
移動 : 11:20  アスンシオン
       ↓ バス(4h 55min)
  16:15  km41(イグアス日本人移住区)

 



世界一周パラグアイ4
【アスンシオンのバスターミナル】



アスンシオンからイグアス移住地への移動中、バスで隣の席だった現地の女の子が話しかけてくれた。私の持っていたスペイン語の参考書が目にとまったらしい。それを見ながら、使えそうなスペイン語の単語をいくつか教えてくれた。その後も話は続いた。パラグアイはどうだとか、日本はどんなところなのとか、どこに向かっているかとか、お互いの家族についてとか。あまり英語が通じなかったため言葉よりも身振り手振りで話をしたような感じだったが、大まかなことはなんとなく理解できた気がする。

話は意外なほど盛り上がり、降車するまで楽しい時間を過ごさせてもらった。





世界一周パラグアイ3
【バス車内 運転席の隣にマテ茶用のポットが置かれている】




スペイン語を教えてもらい喜ぶ私を見て、彼女はとても嬉しそうに笑ってくれた。それを見て、私もより嬉しくなった。そしてそれを見た彼女も、きっともっと嬉しく感じてくれただろうと思う。そんな流れを感じた。

そのとき私たちの間に特別な上下関係や利害関係があったわけではない。そんなものがなくとも、どうやら「違い」さえあれば、それに乗じて感情の流入が起きるようだ。


性格、知識、能力、言葉、文化、それは何でも良いのだろうと思う。些細なものであろうと、違いや差があればそこに感情をのせて相手にわたすことができるらしい。いろいろと鑑みてみると、「できる」という可能性ではなく「してしまう」必然性の高いもののようにも思える。そしてそれは形を変えて自分に返ってくることも少なくないようだ。




人は皆違うのだから、差からの感情の受け渡しは日常に溢れているということになる。それが全てと言ってもいいかもしれない。


機会は溢れているわけだ。
何をわたそうか。
考えるまでもないか。




これまで見ず知らずの人から信じられないほど親切にしてもらうことが何度もあった。もう直接お返しすることはできないけれど、そこで気づいたものを繋げていくことは恩返しとしては上出来なようにも思える。



人を良い気分にするために生きてみるのもなかなか良いものかもしれない。

もしかしたらこのときだけかもしれないけれど、それを自分の楽しみとも思えたことが、なんだかとても嬉しかった。



日記をたまに読み返そう。
時間をおけば、自分の中だけでも差が生じる。
こう思えた自分から、後日、得られるものがあるような気もするから。



忘れないうちに、ノートを開いて今日の出来事を書き留めておく。






世界一周パラグアイ5
【km41で下車 ペンションソノダを探す】
 

 


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2009年6月25日のブログです

321日目
 
宿泊 : 夜行バス車内(ウルグアイ・パラグアイ)
移動 : 前日13:00  モンテビデオ
       ↓ 夜行バス(21h 30min)
  10:30  アスンシオン ※時差-1h

 




世界一周パラグアイ1
【パラグアイの首都アスンシオンに到着 バスで市街地へ移動】



パラグアイの首都アスンシオンには昼前に着いた。市街まで少し距離があるためバスをひろって移動する。あらかじめ目星をつけていた宿の近くでバスを降り、他と比べることもなくそのままチェックインした。シングルルーム、もうそれだけで十分だった。

通された2階の部屋は壁も床もボロボロで、窓の扉も閉まりきらずそこから外の光と喧騒が漏れてきている。個室としては少し頼りないが、とりあえず鍵はかかるため、自分の空間を守ることはできそうな気がする。


一晩だけだが、およそ1ヶ月ぶりとなるシングルは嬉しい。今日はゆっくり休めそうな気がする。自分ひとりだけの空間に身を置く安心感は格別だ。






世界一周パラグアイ2
【アスンシオンで泊まったホテル】



誰も入ってこれないというところが良いのかもしれない。誰もいないってだけでは十分ではない。それならむしろ始めからいた方が良い。重要なのは存在の有無ではなく可能性の有無。


単純なものから複雑なものまで、小さなものから大きなものまで、多くの可能性を求めてやってきたつもりでいた世界一周だったが、求めていたのは「有」だけではないことに気がついた。



「無」も悪くない。
ときとしてこれほど心地良いものはない。





そう考え振り返ってみると、これまですれ違ってきた旅行者からは、そうした無の渇望のようなものを感じたことが少なくないことに気がつく。多かれ少なかれ、誰もが持っている欲であるとは思う。もちろん自分も含めて。




バックパッカーの旅は、こう揶揄されることが少なくない。




「ありもしないものを探す未熟な若者の自分探しの旅」




そもそも自分探しという言葉の定義がよくわからないのでこれについてとやかく言う気も起きないが、実際に多くの「バックパッカー」を見てきた私はこう思う。


ひと昔前はどうだったか知る由がないが、今はそうした発見を求めて旅をしている若者が少ない。では何を求めているのか、私は大きく2つに分けられると考えている。




一つは、美、食、感、快、学など、俗世的な価値を求める人たち。
きれいなものを見て、おいしいものを食べて、感動して、知って学んで喜んではしゃいでと、そういうシンプルで目に見えやすい価値を求めて旅するする人が今は多い。


もう一方は、無を求めるタイプ。こちらはどちらかというと厭世的。
言い換えるならば、やすらぎ、癒し、休息、浄化、こうしたものを求めるタイプ。閉塞感の漂う現代の日本を考えると、このタイプの旅行者は今後も増え続けると思う。




いわゆる自分探し派(繰り返し言うが定義がわからない)は、完全にマイナーな存在になっているのではないかと思う。


現代のバックパッカーは、「有の可能性」と「無の可能性」を希求しているような気がする。言葉は対照的ではあるものの、どちらも求めているものは明確であり、決して不確かな自分などの再発見を求めているもののようには思えなかった。





もしかしたら可能性だったのかもしれない。人が人生に求めているのは、昔も今もこれからも、求め続けるのは可能性なのかもしれない。これは本能的なものかもしれないな。



現時点の十分な可能性の無と、新たな国で始まる明日からの日々に期待する可能性の有と、2つの可能性に満足しながら、今日は早めに休むことにした。


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