2009年6月26日のブログです
322日目 | ||||
宿泊 : | ペンション園田①(パラグアイ) | |||
移動 : | 11:20 | アスンシオン | ||
↓ バス(4h 55min) | ||||
16:15 | km41(イグアス日本人移住区) |
【アスンシオンのバスターミナル】
アスンシオンからイグアス移住地への移動中、バスで隣の席だった現地の女の子が話しかけてくれた。私の持っていたスペイン語の参考書が目にとまったらしい。それを見ながら、使えそうなスペイン語の単語をいくつか教えてくれた。その後も話は続いた。パラグアイはどうだとか、日本はどんなところなのとか、どこに向かっているかとか、お互いの家族についてとか。あまり英語が通じなかったため言葉よりも身振り手振りで話をしたような感じだったが、大まかなことはなんとなく理解できた気がする。
話は意外なほど盛り上がり、降車するまで楽しい時間を過ごさせてもらった。
【バス車内 運転席の隣にマテ茶用のポットが置かれている】
スペイン語を教えてもらい喜ぶ私を見て、彼女はとても嬉しそうに笑ってくれた。それを見て、私もより嬉しくなった。そしてそれを見た彼女も、きっともっと嬉しく感じてくれただろうと思う。そんな流れを感じた。
そのとき私たちの間に特別な上下関係や利害関係があったわけではない。そんなものがなくとも、どうやら「違い」さえあれば、それに乗じて感情の流入が起きるようだ。
性格、知識、能力、言葉、文化、それは何でも良いのだろうと思う。些細なものであろうと、違いや差があればそこに感情をのせて相手にわたすことができるらしい。いろいろと鑑みてみると、「できる」という可能性ではなく「してしまう」必然性の高いもののようにも思える。そしてそれは形を変えて自分に返ってくることも少なくないようだ。
人は皆違うのだから、差からの感情の受け渡しは日常に溢れているということになる。それが全てと言ってもいいかもしれない。
機会は溢れているわけだ。
何をわたそうか。
考えるまでもないか。
これまで見ず知らずの人から信じられないほど親切にしてもらうことが何度もあった。もう直接お返しすることはできないけれど、そこで気づいたものを繋げていくことは恩返しとしては上出来なようにも思える。
人を良い気分にするために生きてみるのもなかなか良いものかもしれない。
もしかしたらこのときだけかもしれないけれど、それを自分の楽しみとも思えたことが、なんだかとても嬉しかった。
日記をたまに読み返そう。
時間をおけば、自分の中だけでも差が生じる。
こう思えた自分から、後日、得られるものがあるような気もするから。
忘れないうちに、ノートを開いて今日の出来事を書き留めておく。
【km41で下車 ペンションソノダを探す】
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