253日目 | |||
宿泊地 : | Eastgate Backpackers (ヨハネスブルグ / 南アフリカ) | ||
移動 : | 午前 | マンジニ | |
↓ ミニバス(20min) | |||
13:30 | ムババネ | ||
↓ ミニバス(4h15min) | |||
17:45 | ヨハネスブルグ |
一昨日から二晩、マンジニの教会に泊まった。この教会は部屋代が安かったのも良かったのだけれど、もう一つとても得した気分にしてくれたことがある。それはスワジランドの小学校の授業風景をのぞけたこと。
朝、子供たちの歌声で目が覚めた。東アフリカでよく耳にした、すべて女の子の声に聞こえるような透き通った歌声の合唱だった。寝ていた部屋のベランダからその様子を眺めていた。
【上から覗き見】
【おそらく音楽の授業だったのだと思う】
歌い終わったらまたすぐ次の歌。歌によって振り付けもあったのだけど、それがまたかわいい。みんな生き生きと、すごく楽しみながら歌っているのがよくわかった。中にはノリノリになってしまい、自ら前に出て踊りだす生徒もいた。それを見てまた盛り上がる。自分を全力で表現していて、見ているこっちも気分が晴れ晴れとしてくる。
大学卒業が近づいたあたりから、美術館や劇団の演劇、ミュージカルを楽しんで観れるようになった。難しいことはよくわからないながらも、自分なりに解釈しては勝手に楽しんでいる。最初のうちは見るもの全てが新鮮で、何かしら感性にひっかかるものがあったが、だんだんと自分の嗜好が確立されてくるにつれ、おもしろいものとおもしろくないものに分かれてくる。つまらなかった、とそれ一言で終わる場合もある。しかし、どんなものを観ても、観賞後に必ず感じることがある。毎回同じことを思う。
表現力のある人って羨ましいな
必ずこう思う。
いま自分の持っている表現はなんだろう。自信を持って言えるのは言葉、つまりは喋りと文章くらいだと思う。少ない。芸術にしても、スポーツなど体を使って見せることにしても、または何かクリエイティブな分野にしても、自分の世界観や思想を、自分を介して独自の形で表現できることはさぞ気持ちの良いことだろうと思う。自分を外へ開放する出口がたくさんあるわけである。気持ち良くないはずがない。自分が世界の一部にいることが実感でき、そこから世界の広がりを感じれるようになるような気がする。もちろんそれに触れる他者にも何らかの影響を与えられる可能性がある。表現力のある人っていいなぁと、つくづく思う。
まあそんなことを思うわけだけれど、この小学校の授業を見ていて、ふと日本の教育(文化かもしれない)について考えさせられた。同じような年代の子供たちが、こんな生き生きと自分を表現することを推奨する場があるだろうか。自分の過去を振り返る限りでは思い当たらない。先生など上の立場の人間からストップをかけられるか、または周囲から嘲られるなどして縮こまる、そして特有の集団意識を学んでいく。そこを突き破れるのは、才能か性格など何かが付きぬけてしまっている人間に限られる。なんだかもったいない気がしてならない。
最初はただ楽しくて見ていたこの光景も、途中から少し寂しい気持ちとともに見るようになってしまった。人生は自己表現の最たるものだろうと思うが、それを自分らしく表現する能力の基礎が築かれるのは、小学校の低学年、遅くとも高学年、そのあたりまでであるように感じてしまった。
悲観的に見すぎかな。だと良いのだけど。
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