217日目
宿泊地 : ニューリンダロッジ New Linda Lodge② (フォート・ポータル / ウガンダ)
移動 :フォートポータル ⇔ ピグミーヴィレッジ(往復5h)
【8:00~10:30,12:10~14:40】
ピグミー村を訪ねるためにフォートポータルまでやってきたが、ここからそこまでにはさらに2時間半山道を行かなければならないらしい。しかも交通手段はトラック。もちろん荷台。
噂によると20人以上がトラックの荷台にひしめき合うようにして乗りあうということであった。とりあえず乗ってみた。というよりもむしろ、積み込まれてみた。
【こんな具合です】
乗っていた人は30人近く、それだけでなく大きな荷物もたくさんあったために荷台の上はぎゅうぎゅう詰め。ヤギまで載せられているから足元も大変。当然みなが座れるはずもなく立った状態をキープしなければならないのだが、なんせ山道をいくものだから何か体を支えがないと振り落とされそうになる。で、何につかまるかっていうと、前の人になる。連なった人の列が、カーブのたびに蛇のようにクネクネとうねる。
【連立タイタニック 肩や腰をぎゅっとつかむ!】
【砂埃もすごい 着くころには髪が白くなっていました】
こうしてたどり着いたピグミーヴィレッジ。ここにはいま70人ほどのピグミーが住んでいる。70人と言っても、ここでの生活で生計を立てることは難しく、成人男性のほとんどが町に出稼ぎに出ている言う。なので実際には村には数えるほどしか人はおらず、村というよりも小さな集落といったほうがしっくりほど閑散としている。ピグミーは、もとはほど近くに国境を接するコンゴ民主共和国に住んでいる民族らしく、そちらに行ったほうが多くの、そして小さなピグミーを見れると言う。今のコンゴはとても旅行できる状態ではないけどね。東アフリカで姿を消すバックパッカーの大半がコンゴなんていう話も聞くから。今もコンゴからウガンダ側へやってくるピグミーはいるらしい。
ちなみにこのピグミー村、かなり貧しい。村を見学する際にはまずピグミーのキングに入村料を支払うのだけど、ピグミー村のみならずこの周辺の集落を見た後では、ふっかてくるこの料金もそれほど値切ろうとする気になれない。そもそもキングはそういう交渉が得意ではないようで、「えっ?」という顔をすると途端に半額以下まで値下げしてしまったりする。
入村料を払うこのときには、村の女性や子供がみなそれぞれ手作りの楽器やお土産を手に集まってくる。ここで稼がずにいつ稼ぐ!といったところだと思う。必死さがとても伝わってくる。
【あめえ、弓矢買わねえか?とキング。恐縮ですがそれはいらねえっす。使えないっす。】
【あれ?女性はけっこう大きくないかい??】
その後、担当の人が村を簡単に案内してくれる。ここには電気も水道も通っていない。生活のために、マリファナも育てて売っているといって紹介してくれた。
【ウガンダでもマリファナは違法じゃなかったけ? けどここに来るまでの山道でも、それらしき植物が栽培されているのを多く見かけた。】
【どこでも子供たちは元気だね】
【お腹が出ているのは栄養失調?】
【こういう顔を見ていると少しほっとする】
【家の中も案内してくれる】
【ピグミー村の人はやっぱり小さかった】
ベルギーの植民地だったルワンダが近いからかな?このあたりではカカオの栽培も盛んだった。と言っても、自然に木になったカカオをとっているだけのようにも見えたけど。西アフリカのカカオ輸出国の子供たちは、そのために労働を強いられながらも最終生産物であるチョコを口にしたことがないなんて話を聞くけど、ここでも同じなのかもしれないなと思った。
【カカオの実 中はこんなん】
【これを取り出し天日干しして出荷するようだった】
貧しい。それが日本人が持っているアフリカのイメージ。物もない、水も電気もない、十分な教育も医療も受けることはできない。けれど、地方でこうしたとりあえずはこうして落ち着いた生活を送るできている人たちを見るたびに、その貧しさという言葉について考えさせられる。それはよその人間が決めることではないのだと思う。もし彼ら彼女らは先進国のような暮らしを求めていないのであれば、僕らの持つものさしではもう計ることはできなくなる。現にそんなような気がしてならない。
そうすると援助というものも考え直さなければならないように思えてくる。一体何を求めてるのか?物やお金を送ることは、貧しさを埋めるためと言うよりも、むしろ同じ価値観を与えることにより貧しさを自覚させるためのものであるような気さえしてくる。
アフリカに入ってからよく考えることなのだけど、経済を抜きにして考えればここの人はそれほど貧しくない。生を存分に実感しているし、自分たちのスタイルも保持している(都市部では失っているけど)。緑も多いし文化もある。
途上国に笑顔を、途上国に希望を、そのために途上国に援助を。海外を出て現地の生活を目にし、格差にショックを受けた旅人が強い使命感を持ってそのように声高に叫ぶ姿をよく目にするが、何か違和感がしてならない(もちろん全てに対してではないです)。一方的なものを感じる。その地のその人たちの持つ視点で物事を見ることができない限りは、真の意味での援助はできないのだと思う。
中に入り込みあるものを大きく強く育てる。そうした手伝いができれば何よりも良いような気がする。
もし援助をしてもらえるのであれば、日本人がもっと幸せに生きていけるようなヒントを与えてくれる援助がぜひともほしいものです。だって、心底欲しているにも関わらずその能力とアイデアが足りてなくない?
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世界一周の費用はこちら!(ウガンダ編)
世界一周の写真はこちら!(アフリカ編)
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最近、不思議なんですけど
『何が本当に幸せかは分からないよね。』と、
色んな人に、投げかけられることが多いです。
幸せ。というものを真剣に考える時なのか、
それとも世の中が、幸せというものを全く分からないからなのか、
誰かに答えを求めている人は多い。そう感じます。
これから自分はどうしたらいいの?と、家族に問われた事もあったけど、
当然ながら、ヘッポコな私は、答えを出してあげることはできませんでした。
ただ、今目の前にある当たり前に気付いて感謝する。
やっぱり、自分自身で気付かない限り、変わらない。
私が、その問いにもし答える事ができたとしても、その人自身で気付かなければ意味がないのかな。
・・・考え過ぎと、言われそうです。
>yoyoさん
人それぞれですから、具体的な答えをしめすのは難しいですよね。
シンプルに考えれば、その幸せをはかる尺度となる人生観や価値観を自分自身で考えてそれに向けて行動して、その結果に応じてまた修正を加えてと、それを繰り返すのが人生であり、その過程で順調に進めているときが幸せなのだろうと思います。
自分自身で決めるしかないんですよね。
それを社会や人に求めてしまうと言う話を聞くたびに、日本の教育の問題の大きさを感じてしまいます。